大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和61年(ネ)2894号 判決

控訴人 株式会社アオイ

右代表者代表取締役 長瀬幸雄

右訴訟代理人弁護士 岡安秀

被控訴人 甲野花子

〈ほか二名〉

右被控訴人ら三名訴訟代理人弁護士 吉弘正美

主文

一  原判決主文第一項を次のとおり変更する。

控訴人に対し、被控訴人甲野花子は金二七五万七四〇〇円、同甲野一郎及び同甲野春子は各金一三七万八七〇〇円及び右各金員に対する昭和六〇年六月三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  控訴人のその余の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じて第一、二審とも、これを四分し、その一を控訴人の、その三を被控訴人らの各負担とする。

四  この判決第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  主文第一項同旨

2  原判決主文第二項及び第三項を取り消す。

3  被控訴人らの反訴請求を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

5  1項につき仮執行宣言

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人

相続人が二人以上いる場合、限定承認は、その全員が共同してのみなし得るものであるから、限定承認をした共同相続人中に熟慮期間が満了したため限定承認をなし得ない者が一人でもいるときは、その限定承認は全員について無効であると解すべきであり、仮に然らずとするも、そのような場合には、公平の見地から民法九三七条を類推適用し、相続財産をもって弁済を受けられなかった分については、相続分に応じ、熟慮期間を徒過した相続人の固有財産に対する追及を認めるべきである。

二  被控訴人ら

右一の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

第一本訴請求について

一  請求原因1の事実(控訴人の営業目的及び亡太郎が控訴人の従業員であったこと)は当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によれば、請求原因2、3の各事実(亡太郎が合計五五一万四八〇〇円の金員を横領し、このため控訴人が右同額の損害を被ったこと)が認められ、右認定に反する証拠はない。

三  請求原因4の事実(亡太郎が昭和六〇年六月八日死亡し、同人の権利義務を妻である被控訴人甲野花子が二分の一、子である甲野一郎及び同甲野春子が各四分の一の割合で相続したこと)は、当事者間に争いがない。

四  抗弁について

亡太郎が昭和六〇年六月八日死亡したことは前記のとおりであり、《証拠省略》によれば、被控訴人らは、亡太郎死亡当時、同人と共に肩書住所地で居住していたが、同人が右同日、通勤の便宜のため都内板橋区に借りていたアパート内でくも膜下出血により倒れ、収容先の病院で死亡したことを右死亡当日知ったことが認められるから、以上の各事実によれば、亡太郎の相続に関し、被控訴人らは、昭和六〇年六月八日に相続開始の原因たる事実及び自己が法律上相続人となった事実を知り、自己のために相続の開始があったことを知ったと認めるのが相当である。

しかして、被控訴人らが同年一〇月一六日東京家庭裁判所に亡太郎の相続に関して限定承認の申述をし、これが受理されたことは当事者間に争いがないから、被控訴人らの右限定承認の申述は、被控訴人らが自己のために相続の開始があったことを知った時から、限定承認の熟慮期間である三か月を経過した後になされたものであることは明らかである。

もっとも、相続人が自己のために相続の開始があったことを知った場合であっても、右の事実を知った時から三か月以内に限定承認をしなかったのが、被相続人に相続財産(積極及び消極の財産)が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人において右のように信じるについて相当な理由があると認められるときには、熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である(最高裁昭和五九年四月二七日第二小法廷判決・民集三八巻六号六九八頁)ところ、これを本件についてみるに、前記二の認定事実、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  亡太郎の死亡当時、同人には、消極財産として、本訴請求にかかる損害賠償債務の外、控訴人に勤務する以前に自ら経営していた会社の倒産に関して生じた渋谷信用金庫に対する約九〇〇万円の連帯保証債務、本件横領行為以前に本件同様客から集金した金員を横領したことから控訴人への返済のため株式会社千葉相互銀行から借り受けた借受金の残元金債務三二万円及び自動車購入に関する割賦残代金債務等があり、積極財産としては、手持ちの動産類等が主なものであった。

2  亡太郎死亡の直後である昭和六〇年六月一六日頃、控訴人の経理担当事務員である柏谷輝子及び山口営業部長らは、亡太郎の扱っていた書類の整理をしている途中で、同人が契約者から受領していながら控訴人に入金していない多額の不明金のあることに気付き、同月二二日頃、右両名は被控訴人ら宅に赴き、被控訴人甲野花子に対し、九二五万一〇〇〇円を不明金額とする暫定的な不明金額一覧表を示し、「使途不明金が出たので善処して欲しい」旨述べ、また、同月末日頃には、右柏谷が、その後の控訴人の調査の結果判明した確定的な数字である五五一万四八〇〇円(本訴請求にかかる金額と同額)を不明金額とする新たな不明金額明細一覧表を持参して被控訴人ら宅に赴き、被控訴人甲野花子に対し、右一覧表を示したうえ、同表記載の金額が確定的な使途不明金額である旨述べ、善処方を求めた。更に、同年八月六日、控訴人代理人弁護士岡安秀が被控訴人ら宅を訪れ、被控訴人甲野花子に対し、右確定金額を不明金額とする不明金明細書を交付し、亡太郎の横領行為に伴う被控訴人らの控訴人に対する返済について話合いの用意のあることを告げた。そして、右代理人弁護士は、同年一〇月一二日同被控訴人到達の内容証明郵便により、同被控訴人に対し亡太郎の横領金額である五五一万四八〇〇円を同日から一〇日以内に支払うよう催告した。

3  被控訴人甲野花子は、亡太郎死亡の五日程前に同人の依頼に応じて自動車買換え代金の一部を同人に融通し、同人の葬儀から一週間程経た昭和六〇年六月一九日頃には右自動車購入に関する割賦金銭債務の存することを知り、また、前記株式会社千葉相互銀行に対する借受金残元金債務の存在も、同月末頃同銀行よりの通知により知るに至った。

4  なお、亡太郎死亡当時、被控訴人甲野花子及び同甲野春子は会社勤めをしており、長男の同甲野一郎は大学生であった。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の認定事実によれば、被控訴人甲野花子は、遅くとも昭和六〇年六月末頃までには亡太郎に係る本件損害賠償債務等の諸債務の存することを知ったと認められ、また、《証拠省略》によれば、その頃被控訴人甲野一郎も同甲野花子から右諸債務の存在状況を知らされていたことが認められ、更に、先に見た被控訴人ら家族の生活状況等に鑑みると、被控訴人甲野春子も、同甲野一郎とほぼ同じ頃には右諸債務の存在を知り若しくは少くともそれを知り得べき状況にあったと認めるのが相当であるから、被控訴人らが熟慮期間内に限定承認をしなかったのが、被相続人たる亡太郎に相続財産が全く存在しないと信じたためとは認められないのみならず、たとえ被控訴人らのうちにそのように信じた者がいたとしても、先に見た亡太郎の生活歴、同人と被控訴人らの関係等からみて、そのように信じた被控訴人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があるなどとは到底いえず、そう信じるについて相当な理由があるとは認められないのであって、熟慮期間の起算点を、被控訴人らが自己のために相続の開始があったことを知った時と異別に解すべき事情は何ら見当らない(なお、たとえ右起算点を異別に解し得るとしても、昭和六〇年六月末日をもって、被控訴人らが相続財産の全部又は一部を認識したとき又は通常これを認識しうべき時と解すべきであり、右同日を熟慮期間の起算点とすべきであるから、本件限定承認は、右同日から三か月の熟慮期間を経過したのちになされたことは明らかである。)。

以上によれば、本件限定承認は、法定の熟慮期間徒過後になされたもので、その効力を有しないものといわなければならず、被控訴人らの抗弁は失当である。

五  以上によれば、被控訴人らは、控訴人に対し、請求原因5記載の各金員を支払う義務がある。

第二反訴請求について

請求原因1ないし4の事実はすべて当事者間に争いがなく、本件反訴状送達の日が昭和六〇年一二月一六日であることは本件記録上明らかである。

以上によれば、控訴人は、被控訴人らに対し、請求原因5記載の各金員を支払う義務がある。

第三結論

よって、本訴請求及び反訴請求はいずれも理由があるからこれをすべて認容すべきものであるところ、本訴請求について、亡太郎の相続財産の限度で被控訴人らに対し控訴人請求の各金員の支払いを命じた原判決は一部不当であり、本件控訴は一部理由があるから、原判決主文第一項を本判決主文第一項のとおり変更し、その余の控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村岡二郎 裁判官 佐藤繁 鈴木敏之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例